いちぷよらーが20年を振り返る
思い返せば、もうそろそろ私がぷよぷよに出会って20年近くになるではないか…と気づいてしまったのと、サイト開設から10年とちょっと経ってしまったので
ちょっくらむかしのことでも思い返してみようかなと思います。
尚、これは私個人の主観によるものであり、事実と異なることも多々あるかとおもいます。中立な意見でもなければこの世代を代表する意見でもありませんのでご了承ください。
背景に小汚い年表を作ってみましたのでそれを眺めつつ思いをはせてもらえたらと思います。
94〜98年コンパイル黄金期
94年にはACぷよぷよ通が稼動し、各CSハードにも移植発売され、ぷよぷよは国民的パズルゲームとして広く認知されていました。
私もこの頃にぷよぷよを知った世代です。この時代までゲーム機は高価で「お金持ちの大人が遊ぶもの」でしたが、スーパーファミコンの爆発的ヒットで子供が遊べるゲームの文化が根付き始めていました。
ぷよ通に続きなぞぷよ通が95年・魔導物語はなまる大幼稚園児が96年に発売、ACぷよぷよSUNが96年末に稼動するという元気っぷりでした。
書店にはゲームの攻略本が複数の会社から出版され、商業コミックアンソロジー、角川文庫からは小説版魔導物語が出版され、雑誌「小学1年生」などにもたちばな真未先生のぷよぷよの漫画が連載されていました。
お菓子コーナーにはおまけつきの食玩が数種類並んでいました。ぷよ電卓とかおもちゃも色々出てましたね。デパートに行けばそちらこちらにぷよぷよ関連商品があった時代でした。
コンパイルの会報誌「コンパイルクラブ」も地下版とともに毎月発行・DiscStation・ももも通販も3ヶ月周期で発行されていました。
そうしてコンパイルが事業を拡大させる中、景気は確かに悪化しており、コンパイルもまた負債が膨らみ、98年には地方裁判所に和議申請をするに至りました。
99〜02年コンパイル衰退期
和議申請によりごたごたする中、大幅な路線変更を行った「SS魔導物語」が98年、「ぷよぷよ〜ん」が99年に発売されました。
この時代はセガもまた経営が苦しく、「頑張れ、湯川専務!」のCMが流行したり次世代機ドリームキャストを発売しましたが、やはり不景気の波に勝てず、01年にはハードの開発から撤退しました。
この間コンパイルはセガにキャラクターの権利を担保に入れる形で会社の再建のためにゲームの開発をしていましたが、結局これといったヒット作は生み出せませんでした。
コンクラももも通の冊子も目に見えて薄くなり、「斜陽」となったのは悲しいかな誰の目にも明らかでした。
この間にぷよぷよから離れっていったユーザーは多く、私もまたその一人でした。
02年にはコンパイルの後継会社・アイキから新しいパズルゲーム「ポチっとにゃ〜」が発売されましたが、離れていったぷよらーたちを呼び戻すには至りませんでした。
98年末〜01年には小説「真・魔導物語」、99年「魔導物語ファンブック」が発売され、いわゆる「真魔導設定」が明らかとなり、
そのシリアスな裏設定に驚き反発したユーザーも少なくなく、それもまた離反の一因となったとかならなかったとか。
03〜06年 魔導ファン試練の時代
私が少女漫画や少年漫画に触れ、我が家にもインターネットが開通した後、ひょんなことからぷよ熱が戻ってきた03年。コンパイルのHPはすでに無くなっていました。
代わりにファン主導によるサーチエンジン「ぷよ魔導FAN」さんが登場しました。この頃のファン交流はもっぱら個人HPにおけるBBS、お絵かき掲示板の時代でした。
ちなみにACぷよぷよフィーバーが稼動したのも03年で、言うまでもなくぷよファンの間では大事件となりました。
フィーバーのキャラクター・絵柄・システムに反発の感情を顕にする方は少なくなく、なんの抗争もなかったとは言えないでしょう。
とはいえそれも一時的なもので、魔導とフィーバーは別物、分けて考えよう(というか混ぜるな危険)として次第に落ち着いていきました。(お触り禁止の話題になったとも言う)
ちなみにこの頃魔導サイトはドッペルゲンガーや真魔導設定を汲んだシリアス路線が流行していたような気がします。(私の主観)
アルル・ルルー・シェゾ・サタンのいわゆる「ARSS」という言葉も徐々に定着していた気がします。(私の主観)
また、06年に長く魔導同人を支え続けた全国ツアー型のオンリーイベント「魔導祭」が8年の歴史に幕を閉じました。
06〜09年 15thからぷよ7まで
時は流れネット上での交流形態は個人のHPから「ニコニコ動画」「pixiv」などの大型SNSに移りかわっていきました。
そんな中セガは「ぷよぷよ!15th annniversary」を06年末に発売し、アルルだけでなくほかの魔導キャラクターを大量にぷよぷよに登場させました。
これによりセガぷよから魔導シリーズに興味を持つ新規参入層が少なからず現れるようになりました。
プレイ動画などで過去のゲームの内容を容易に知れるようになったこともまた時代の恩恵であったと思います。
尤も、コンパイル時代を愛好する者たちは相変わらず「混ぜるな危険」という考えを基本としていた方が多数でした。(私の主観)
「この人はどっち派か」ということを把握しておかないとなかなか交流が難しい時代でもあったかもしれません。
そんな中09年には「ぷよぷよ7」が発売され、魔導キャラが引き続き登場するほか、アミティたちとはまた違ったキャラクター「りんご」が主人公に据えられることとなりました。
同じく09年9月から同人オンリーイベント「ぷよ主義」が開催され、現在まで続いています。
10〜14年 20thからぷよクエへ
09〜10年頃ファン主導で魔導物語20周年を祝う気運が高まったためか、初期魔導(魔導物語1-2-3、ARSなど)が流行しました。
実は初期の魔導物語(MSXやPC98)は黄金期でさえ希少な機種であり、私も含めプレイ経験者は多くなかったのですが、同人誌やプレイ動画などから改めて原点回帰するファンが新旧ともに増加したようでした。
(これを知ってか知らずか11年発売の「ぷよぷよ!!20th annniversary」では声違いボイスが収録されています。)
ぷよぷよ20thは絵柄が当初のアメリカンカートゥーンな雰囲気と比べるとだいぶ柔和な一般向けするものとなり、システムやストーリーの完成度も高く、好評でした。
この頃にはセガキャラと魔導キャラ混在のイラストやストーリーを書く方もだいぶ増加し、「混ぜるな危険」という志向はもはや過去のものとなりました。
12年には「コンパイルナイト」というイベントが開催され、元コンパイル社員たちと当時を振り返る同人イベントが不定期に催されるようになりました。
かと思ったら13年にはコンパイルハートから「聖・魔導物語」が発売し再びぷよフィバの悲劇が起こるかと思われましたがやはり完全に別物として考えようということで大きな混乱はありませんでした。
同じく13年にはスマートフォン向けにぷよぷよクエストがリリースされ、順調にプレイヤーを増やしています。
プラットフォームが広いため、衰退期に離れたユーザーがぷよクエで再び戻ってくる出戻り現象も散見されているように感じます。
一方、こうしてプレイヤーが増える中、今後セガが主人公やストーリー展開をどのように進めていくのか懸念している方も少なくないようです。
・・・というわけで、いかがだったでしょう。出来るだけ中立に面白く・・・と思ったのですが思ったほど面白くならなかったですね(−_−;)むー
何か新しい発見があれば、嬉しいです。これからもぷよぷよが老若男女たくさんのプレイヤー・ファンが楽しめる作品となることを祈っています。